2000年 ドイツ演奏旅行

今回の演奏旅行に至る経緯

私たちは音楽の歓びを共有することにより、あらゆる人々と文化や言葉の違いを越え、より深い交わりをもつことができると信じております。この信念の下、「より良い音楽、より美しい音楽」をモットーに日々研鑽を積んで参りました。過去8度の海外演奏旅行も同様の方針に従って組み立てられたものです。これが実際に海外各地のホールにおいて、舞台と客席が一体となってひとつの音楽を作り上げるという体験に結び付き、演奏者のみならず聴衆の方々の心にも深く刻まれているようであります。この私たちの活動は、在外公館、日本企業など各界の方々から、国際理解の一助になるものとご評価いただいて参りました。これは私たちがあらゆる利害を越えて行い得る学生であるからこそできることかも知れません。学生としての“音楽”が、皆様方のお力添えでこのような役割を果たして来れましたことは非常に光栄なことであります。

今回の「2000年ドイツ演奏旅行」の実現に至るまで、歴代の楽団員は様々な努力を重ねて参りました。初の海外演奏旅行は、1978年にベルリンで開催されたカラヤン財団主催の第5回国際青少年オーケストラ大会(通称・カラヤンコンクール)への出場と、それに伴う「ドイツ・オーストリア巡回旅行」でした。この大会において、当楽団は全参加団体中、唯一音楽を専門にしない学生でありながら第1位を獲得し、カラヤンゴールドメダルをいただきました。私たちの海外演奏旅行はこの成功により始まったのです。

翌1979年には、カラヤンコンクール優勝団体としてフランスのエヴィアン音楽祭へ招聘され、同時に「フランス・スイス演奏旅行」を行いました。また1982年には、ドイツ連邦共和国(当時)の音楽マネージメントの招聘により、初の長期型演奏旅行として、1ヶ月にわたる15都市での「西ドイツ国内演奏旅行」が実現しました。

1986年には規模を拡大して、「1986年ヨーロッパ演奏旅行」と題し、43日間にわたりフランス、東西ドイツ(当時)、オーストリア、チェコスロヴァキア(当時)の5ヶ国20都市で公演しました。そしてこの演奏旅行中には、ドイチェ・グラモフォン社によるライヴ・レコーディングやベルリン自由放送(SFB)によるTV収録をベルリンのフィルハーモニーで行うという機会をいただきました。

こうした意欲的な活動を通じて当楽団の名はさらに広まり、1988年12月に日本の文化使節として行ったフィリピン公演を皮切りに、日本、フランス、東西ドイツ(当時)、オランダ、オーストリア、スイス、イギリス、そしてアメリカと、10ヶ国で計22回の公演を行う「1989年ワールド・ツアー」が実現しました。

さらに「1992年世界演奏旅行」では、東西統一を果たしたドイツをはじめとし、スイス、オーストリア、スペイン、ポルトガル、アメリカ、日本の7ヶ国16都市で公演を行いました。

その3年後の海外演奏旅行「1995年ワールド・ツアー」では、当楽団桂冠指揮者である岩城宏之氏に随行指揮者をお願いし、ドイツ、オーストリア、アメリカ、日本と、4ヶ国18都市で公演を行いました。

そして前回の海外演奏旅行「1998年ワールド・ツアー」では、カラヤンコンクール優勝20周年を記念して、優勝当時のプログラムであるヴェルディの歌劇「運命の力」序曲、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」などを、フィリピン、マレーシア、シンガポール、スペイン、ドイツ、アメリカ、日本の7ヶ国18都市で演奏して参りました。

以上のような活動を積み重ね、「こんなにも大きなオーケストラが音楽の要求するものをすべて克服した。」(ベルリン・モルゲンポスト紙)、「ワセダ・オーケストラに比類するものなし!」(ボストン・グローブ紙)、「全体に渡ってのオーケストラの音は深い感銘を与えた」(ニューヨーク・タイム図示)と評されるなど、いずれも大きな反響を呼びました。こうした活動を通じて、今では「ワセダ・シンフォニー」の名前は世界中に広まり、各地でワセダの再演を心待ちにされるほどになっています。

そして通算9回目の海外演奏旅行となる今回の「2000年ドイツ演奏旅行」の計画にあたっては、外務省より「ドイツにおける日本年」への参加のお誘いをいただきました。この「ドイツにおける日本年」は、これまで日本との繋がりがあまり多くなかった旧東独地域を中心に日本の文化を紹介し、その交流を図ることを目的として行われたものです。

この計画に際して、外務省から三枝成彰氏に新作の作曲が委嘱され、各公園のメインプログラムとして取り上げられました。三枝氏は現在日本でも最も創作活動の充実している作曲家のひとりであり、この作品では日本文化を代表する楽器である和太鼓と、西洋文化であるオーケストラの融合が試みられました。またこの作品では、世界的に活躍している和太鼓一路の方々に共演させていただきました。

当楽団の演奏旅行は、これまでほぼ3年に1回のペースで行われて参りました。この慣例に従いますと次回の演奏旅行は2001年に計画されることになりますが、1997年以来、ボンの日本大使館より熱心なお誘いを受け、1年繰り上げての計画が実現いたしました。このような意義深い行事へのお誘いをいただいたことに深く感謝いたしますと同時に、この演奏旅行が両国間の文化交流の一助となることができますよう祈願いたしております。

故ヘルベルト・フォン・カラヤン氏はカラヤンコンクール以来、当楽団に深い関心を寄せられ、様々なご助言や直筆のメッセージをくださるなど、全面的なバックアップをしてくださいました。氏は、『音楽』は平和に貢献し得る、そしてまた、若い世代間の交流と理解が平和への架け橋となるとお考えになって、当楽団のこうした海外演奏旅行への道を積極的に拓いてくださいました。

「オーケストラ音楽は西洋文化の華である。東洋の地に根付いた華が生まれ故郷に里帰りをし、大輪の花を咲かせたのちに種子を落とす。そしてそれがまた新たな芽を吹くのだ。」

これは、ドイツのある著名な新聞に掲載された当楽団についての批評です。これこそが私たちが演奏旅行を行う目的であり、そして音楽の歓びによって人々が国境を越えて理解し合い、通じ合うことが世界平和への道である、と強く信じています。

公演概要

■公演国・公演都市

◇ドイツ連邦共和国
・ロストック Nikoleikirche
・ホイヤースヴェルダ Lausitzhalle
・ケムニッツ Stadthalle gr.Saal
・ドレスデン Kulturpalast
・ビーレフェルト Rudolf-Oetker-Halle
・ハレ Georg-Friendrich-Handel-Halle
・ヴィッテンベルク Alter Getreidespeiche
・ベルリン Philharmonie

■公演期間

2000年2月中旬~2000年3月初旬

■参加人数

約200名

■随行指揮者

  • 大町 陽一郎(東京フィルハーモニー交響楽団専任指揮者・当時)

■演奏曲目

  • ワーグナー/歌劇「リエンツィ」序曲
  • ヘンデル/ハープ協奏曲 変ロ長調
  • ヤナーチェク/「シンフォニエッタ」
  • プロコフィエフ/バレエ音楽「ロメオとジュリエット」組曲(抜粋)
  • 三枝成彰/太鼓について<太鼓協奏曲>

■ソリスト

  • 野村 万之丞(狂言師)
  • 和太鼓一路(和太鼓)