交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」作品28

リヒャルト・シュトラウス

後に革新的な作曲技法で有名になったドイツロマン派後期を代表するリヒャルト・シュトラウスだが、作曲を始めた当初は保守的な父フランツの影響があって、古典派やメンデルスゾーン、シューマン、ブラームスなどに影響された作品を書いていた。

シュトラウスは1885年に名門マイニンゲン宮廷楽団の指揮者に就任した。そこでコンサートマスターでワーグナーの姪と結婚していたアレクサンダー・リッターと出会った。このリッターの影響と、バイロイトで《トリスタン》を見て感動したことを契機に、シュトラウスはワーグナーやリストの影響を強く受けた、独自の交響詩の世界を作り上げていくようになる。《ドン・ファン》、《マクベス》、《死と変容》などを書き上げて次第に名声を高めていったシュトラウスは、1894年に「ティル・オイレンシュピーゲル」を題材にした歌劇の作曲を始めた。ティルは14世紀にドイツ各地を放浪し、いたずらの限りを尽くして世間を騒がせた名うてのならず者で、ドイツではよく知られた存在であった。しかし同年に発表した歌劇「グントラム」が失敗に終わったことを受けて歌劇としての「ティル・オイレンシュピーゲル」の作曲を放棄し、ティルをテーマにした新しい交響詩の作曲に取りかかった。この交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」はミュンヘンで完成され、初演は1895年11月5日にケルンにおいてフランツ・ヴュルナーの指揮で行われた。ヴュルナーは日本では声楽の教則本『コールユーブンゲン』の作者として知られている。

シュトラウスは当初この作品の細かな解説を避けていた。「私には、『オイレンシュピーゲル』に標題を与えることは不可能です……今回は、いたずら者による謎を聴き手に解いてもらいましょう」、「理解を容易にするためには、オイレンシュピーゲルの主題(譜例1と譜例2)を提示すれば十分でしょう。彼の死の動機(譜例3)がティルを示した後、絞首刑にされるという結末に至るまで、この2つの主題がさまざまな姿と感情並びに場面で、全体を通して現れます。その上で、一人のいたずら者が音楽の悪ふざけでどういうことをしたかを、陽気なケルンの人たちに推理してもらいましょう。」と、シュトラウスはヴュルナーに書き送っている。

譜例 1

譜例 2

譜例 3

しかし後年にドイツの作曲家ヴィルヘルム・マウケがこの作品の解説を書くにあたり、シュトラウスは作品の各部分に明確な説明を残している。以下はシュトラウスがマウケに示したこの曲のストーリーである。

「むかし一人の陽気な道化者がいた。―その名は、ティル・オイレンシュピーゲル。―彼はひどいいたずら者であった。―新たな行動に ―待て、偽善者よ ―跳べ、馬を市場の女たちの中へ。― 一足で7マイルも行けるという長靴をはいて逃げる。―こっそり姿を隠す。―僧衣を身につけ情熱と道徳を説く。―だが大きな足もとからならず者の姿が見える。―宗教を嘲笑したことで死におびえる。―騎士となったティルは美しい娘と丁寧な挨拶を交わす。―彼は求愛する。―きれいなバスケットは拒絶を意味した。―全人類への復讐を誓う。―俗物学者の動機。―ティルは、俗物学者に2、3の途方もない命題をだしてそこを去り、彼らを当惑させる。―遠くで顔をしかめる。―ティルの俗謡。―ティルの裁判。―ティルは他人事のように口笛を吹く。―梯子をのぼり絞首台にかけられ、呼吸はとまり、最後のもだえ。ティルの運命は終わった。」

(佐々木祐樹)