スラブ舞曲 第1集 作品46より第1曲
第5番までの交響曲及び5曲のオペラを作曲していたチェコの作曲家ドヴォルザークは、大きな転機を迎えることとなる。当時既に大作曲家と目されていたブラームスが、ドヴォルザークをベルリンの出版社ジムロックに紹介したのである。これによりドヴォルザークは徐々に世界的な作曲家であると目されるようになっていった。このような時期に「スラブ舞曲第1集」は書かれ、ドヴォルザークが著名な作曲家の仲間入りを果たす上での出世作となったといわれている。
ところで、「スラブ舞曲第1集」の作曲の経緯として、ブラームスの「ハンガリー舞曲」の向こうを張るような曲を望まれた、ということがある。そして、ドヴォルザークに対してその要望を出したのは他でもないジムロックであった。スラブ舞曲第1集は成功を収め、上記のようにドヴォルザークの出世作となったのである。
ここでドヴォルザークのスラブ舞曲第1集とブラームスのハンガリー舞曲とを比較してみると、興味深い違いが見られる。「ハンガリー舞曲」は、そのほとんどがハンガリーの既存の民謡をブラームスが編曲・オーケストレーションしたものであるのに対し、「スラブ舞曲第1集」はその全てがドヴォルザークのオリジナルである。また、ブラームスはドイツ人であってハンガリーの民族ではないが、ドヴォルザークはチェコ人であり、自らがスラブ民族であった。したがって、「スラブ舞曲第1集」はドヴォルザークが生まれてからの日々の生活において自然と醸成されたスラブ民族としての感性や自然と染み付いたスラブのリズムを自らの歌として表したものであるといえよう。
さて、スラブ舞曲第1集のはじめを飾る第1曲についてみてみると、この曲はボヘミアの舞曲である「フリアント」であり、三部形式となっている。この「フリアント」は、そのリズムに大きな特徴を持っている。楽譜は速い3拍子であるが、ここに強いアクセントを加えることによって2分音符を1拍とした2分の3拍子( 2小節をひとまとまりとして数えている)と4部音符を1拍とした正規の4分の3拍子が交錯する非常にスラブ的なリズム感を生み出している(譜例1、譜例2)。また、「譜例1」、「譜例2」ともに前半の2小節が2分の3拍子、後半の2小節が4分の3拍子のリズムを持っている。

