ホルン協奏曲第1番 変ホ長調 作品11

リヒャルト・シュトラウス

R.シュトラウスの父フランツ(1822-1905)はミュンヘン宮廷管弦楽団(現在のバイエルン国立管弦楽団)の首席ホルン奏者を40年以上にわたって務め、当時の最も偉大なホルン奏者の一人として尊敬を集めていた。フランツは反ワーグナーで有名であったが、そのワーグナーからも見込まれて≪トリスタン≫≪ラインの黄金≫≪ワルキューレ≫≪パルジファル≫の初演にも参加している。幼少のころから父親の演奏に接してきたシュトラウスはホルンに強い愛着を抱くようになった。

1882年に18歳のシュトラウスは父フランツの生誕60年を記念してホルン協奏曲の作曲に取りかかり、翌1883年にホルン協奏曲第1番変ホ長調を完成させた。この第1ホルン協奏曲はシュトラウスにとってヴァイオリン協奏曲 作品8に次ぐ2番目の協奏曲であり、初演は1883年3月にミュンヘン音楽家協会の演奏会にて、父フランツではなく弟子のブルーノ・ホイヤーのホルン独奏、シュトラウス自身によるピアノ伴奏によって行われた。フル・オーケストラでの初演は1885年3月4日に、ハンス・フォン・ビューロー指揮、マイニンゲン管弦楽団と首席ホルン奏者グスタフ・ラインホスの独奏によって行われた。この協奏曲は管弦楽版がドレスデン宮廷管弦楽団の首席奏者であったオスカー・フランツに、ピアノ伴奏版が父フランツに献呈された。

19世紀を代表する大指揮者ビューローから「貧弱なメロディー」と否定的な評価を受けたホルン協奏曲第1番であるが(彼は同時代の作曲家に対する辛辣な批判で悪名高かった)、現在ではモーツァルトの協奏曲に次ぐ演奏頻度の高い作品となっている。この協奏曲は古典派やメンデルスゾーン、シューマンに影響を受けていたシュトラウスの初期の作品であり、古典的な3楽章構成となっている。楽章間の切れ目はなく、各楽章の主題に関連性を持たせることで全曲に統一性が与えられている。また原題は「ヴァルトホルンと管弦楽のための協奏曲」となっているが(ヴァルトホルンとはヴァルブのないナチュラルホルンのことである)、通常は近代的なバルブホルンで演奏される。

  • 第1楽章:Allegro 変ホ長調 4分の4拍子

    自由なロンド形式の楽章。ホルンのファンファーレ風の主要主題(譜例1)で始まり、この主要主題とオーケストラによくあらわれる分散和音の句(譜例2)が第1楽章だけでなく全楽章にあらわれ、全曲に統一性と集約性をもたらしている。

  • 第2楽章:Andante 変イ短調 8分の3拍子

    3部形式によるのびやかな楽章。第1楽章から休みなく続く。古典派やロマン派の交響曲や協奏曲では珍しい変イ短調が採用されている。

  • 第3楽章:Rondo Allegro 変ホ長調 8分の6拍子

    ロンド形式の楽章。譜例2に基づいたオーケストラの序奏で始まり、独奏ホルンによって譜例2を活用した主要主題が提示される。この主要主題と朗々とした副主題が推進力のある音楽を導いたのち、第1楽章冒頭を思い起こさせる英雄的な変ホ長調の下降音階と響きによって全曲が締めくくられる。

譜例1

譜例2