古関 裕而の作品

紺碧の空

古関 裕而

「紺碧の空」は、当時第六応援歌として作られたが、現在では第一応援歌として校歌とともに親しまれている。

昭和初期の早慶野球戦は、圧倒的に早稲田が負けることが多く、いつも慶應大学の応援歌が野球部の勝利とともに歌われていた。この雰囲気を打破する新しい応援歌作成のため、1931年4月に学内で歌詞を募集し、約30の応募作から当時学生だった住治男の詩「紺碧の空」が採用された。

作曲者の古関裕而は、大学から依頼を受けると、「大変名誉な事であるので早稲田のために作ります」と快諾し、難航したものの数週間でこの曲を作り上げた。

完成した「紺碧の空」は、当時野球部投手の伊達正男により勝利を獲得し演奏されたことから有名になり、現在のように早稲田大学の様々な行事などで学生達に歌われるようになった。