マヌエル・デ・ファリャの作品

バレエ音楽「三角帽子」より終幕の踊り

マヌエル・デ・ファリャ

バレエ音楽「三角帽子」は、1919年に作曲された。ファリャは1907年から7年間パリに滞在し、ドビュッシー、ラヴェル、デュカスらと知り合い、当時パリの美術界、音楽界を席巻していた印象派から大きな影響を受けている。スペイン帰国後は、スペインの民族的個性を生かした管弦楽曲の分野でも成功を収めた。その後スペイン内乱や第二次世界大戦の気運の高まりからアルゼンチンにわたり、69歳の生涯を終えた。

「三角帽子」の作曲は1916年にファリャと知り合ったディアギレフが、彼のバレエ団のために作曲を依頼したことによって始められた。そこで19世紀スペインの文豪アラルコンの民話をもとに書いた小説『三角帽子』を、マルティネス・シエラを脚本家として迎えバレエ化することとなった。まず、社会情勢の影響からパントマイム「市長と粉屋の女房」として1917年にマドリードで初演され、その後より効果的な曲目が加筆された形で、「三角帽子」として1919年にロンドンにて初演された。舞台演出と衣装はパブロ・ピカソ、管弦楽指揮はエルネスト・アンセルメといった錚々たる顔ぶれで、大成功を収めている。

物語のあらすじは、以下の通りである。

権威のシンボルである三角帽子をかぶり威張り散らしている市長が、粉屋の美しい女房を見そめ、横恋慕する。市長はさまざまな手管で女房をわがものにしようとするものの、思惑が外れるばかりか散々な目にあい退散する。

終幕の踊りは、市長を懲らしめることができた喜びが最高潮に達したところで幕が下ろされる場面を、ホタと呼ばれる民族舞曲で表したものであり、弦楽器のスル・ポンティチェッロといった特殊奏法も効果的に用いられる色彩感豊かな曲である。この曲は終幕の音楽であり、スコアの最後には「曲の終わりと共に幕が下りる」といった指示が書かれている。

なお、粉屋の踊りの部分において、「運命の動機」のパロディが登場し、ベートーヴェンの「運命」交響曲との関連性を見ることができる。