リヒャルト・シュトラウスの作品

アルプス交響曲 作品64(第191回定期演奏会)

リヒャルト・シュトラウス

19世紀ドイツの大哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)は1889年1月にトリノで精神錯乱に陥り、以後1900年に亡くなるまで恢復することはなかった。ニーチェは精神錯乱の直前に、最後の著作と位置付けた『アンチクリスト(反キリスト者)―キリスト教への呪詛』を脱稿していた。ニーチェの発狂によって印刷が中止されたこの『アンチクリスト』―「全ての価値転換の書」―は、1895年にようやく発表される。

ニーチェの信徒たるシュトラウスは、20世紀の初めに『アンチクリスト』と結び付いた「非キリスト教的自然」を作曲する構想を立てたとされている。シュトラウスは早くも1902年に、ニーチェの「山で生きる」生き方(「ドイツロマン派の潮流」を参照)を称賛する4楽章から成る大規模な交響曲の作曲に取り掛かっている。この交響曲は「アンチクリスト―アルプス交響曲」と名付けられ、各楽章には登山の場面を描写する標題が与えられていた。スケッチの完成近くになって「自然のなかでの解放」の思想がこの交響曲に与えられた。しかし1911年春にシュトラウスはこの交響曲の2~4楽章を放棄し、単一楽章の作品として曲を再構成したが、「非キリスト教的自然」や「山で生きる」生き方、そして「自然のなかでの解放」は引き続きこの作品の中核をなす思想となっている。「私はわがアルプス交響曲を『アンチクリスト』と呼ぼう。何故ならそこには自らの力による道徳的な純化、創造による救済、すなわち永遠の、そして栄光の自然への崇拝があるからである。」(1911年5月のシュトラウスの日記より)

「アンチクリスト―アルプス交響曲」は1915年2月に全てのスケッチとオーケストレーションを終えて完成された。しかしシュトラウスは発表直前になって作品のタイトルから「アンチクリスト」を取り除き、代わりに副題として付けられていた「アルプス交響曲」をタイトルとした。シュトラウスが自身の宗教的見解を公にすることを好まなかったことと、当時プロイセン宮廷歌劇場指揮者の立場にあったシュトラウスが「アンチクリスト」のような反逆的なタイトルの作品を発表することはおよそ許されることではなかったからである。

初演は1915年10月28日にシュトラウス本人の指揮でドレスデン宮廷歌劇場管弦楽団(現在のドレスデン・シュターツカペレ)によってベルリンの旧フィルハーモニーにて行われた。このシュトラウス最後の交響詩的作品になった「アルプス交響曲」は演奏に50分を要し、またベルリンの旧フィルハーモニーの地が初演に選ばれたことが示すように大規模な音響空間を必要とする大作となっている。

「アルプス交響曲」の各部分には以下のように登山を連想させる21の標題が作曲者によって付けられている。

《夜/日の出/登り坂/森へ/滝にて/まぼろし/花咲く草原にて/牧場にて/藪と茂みに抜け、道に迷って/氷河にて/危険な瞬間/頂上にて/ヴィジョン/霧が立ち上る/太陽が自然に陰っていく/エレジー/嵐の前の静けさ/雷と嵐、下山/日没/エピローグ/夜》

そしてこの交響曲は大きく分けて5つの部分から成立しているとみることができる。

  1. 序奏(夜/日の出)
  2. 第1部:登山(登り坂/森へ/滝にて/まぼろし/花咲く草原にて/牧場にて/藪と茂みに抜け、道に迷って/氷河にて/危険な瞬間)
  3. 第2部:頂上(頂上にて/ヴィジョン/霧が立ち上る/太陽が自然に陰っていく/エレジー/嵐の前の静けさ)
  4. 第3部:下山(雷と嵐、下山/日没)
  5. 結尾(エピローグ/夜)

シュトラウスは主に次にあげる動機と主題によって曲をまとめ上げている。それらは、序奏の「夜」の場面で出てくる「夜の動機」(譜例1)と「山の動機」(譜例2)、「日の出」において「夜の動機」から導かれた「太陽の動機」(譜例3)、登山の「登り坂」で現れる「山登りの主題」(譜例4)と「岩壁の動機」(譜例5)であり、シュトラウスの熟練した管弦楽法によって練り上げられたこれらの動機と主題によって全曲に緊張感と統一性が与えられている。

譜例1 夜の動機

譜例2 山の動機

譜例3 太陽の動機

譜例4 山登りの動機

譜例5 岸壁の動機

(佐々木祐樹)