リヒャルト・シュトラウスの作品

アルプス交響曲 作品64
(第4回 早稲田大学交響楽団創立100周年記念演奏会)

リヒャルト・シュトラウス

『家庭交響曲』の発表の前年である1902年、シュトラウスはニーチェの「山で生きる」生き方 (人は山頂で生活することに、―政治や民族的我欲の憐れむべき当今の饒舌を、おのれの足元に眺めることに、熟達していなければならない。 『反キリスト者』序言から) を賛美する、4楽章構成の作品にとりかかっている。その作品は『反キリスト者―アルプス交響曲』と題されていた。

フリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche 1844~1900) は、ドイツの最も偉大な哲学者のひとりである。ライプツィヒ近郊の小さな村で牧師の子として生まれ、青年時代にはショーペンハウアーへと傾倒し、ワーグナーに出会った。古典文献学の学者として自らのキャリアをスタートさせたが、『悲劇の誕生』をはじめとする発表論文は文献学者たちから批判を受け、大学では孤立した。1878年に発表した『人間的な、あまりに人間的な』でショーペンハウアーからも、ワーグナーからも完全に決別した。翌年、激しい頭痛と病に悩まされるようになり、大学での職を辞した。療養のため、夏はスイスのシルス・マリア、冬はイタリアのジェノヴァ、トリノ、フランスのニースなどを転々としながら、在野の哲学者として活動した。87年から88年にかけて、ニーチェは『道徳の系譜学』『偶像の黄昏』『ワーグナーの場合』『ニーチェ対ワーグナー』『反キリスト』『この人を見よ』など、かなりの質・量の著作を恐るべき速さで書き上げた。あくる1899年1月3日、トリノの道路で彼は一頭の馬が激しく鞭打たれているのを見た。その馬へと駆け寄り、かばって抱きしめ、声をあげて泣いた。彼はその年から狂気の人となり、1900年8月25日に亡くなった。

ニーチェ最後の著作のひとつ、『反キリスト者』は彼の発狂によって出版されないままであったが、1895年にはじめて出版された後、1899年、シュトラウスの友人で交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』の献呈者でもあったアルトゥール・ザイデルの編集によって第2版が出版された。このザイデル編の本が彼に創作の契機を与えたのだろう。1911年になると4楽章構成を廃し、単一楽章とする。1915年、清書の直前に『反キリスト者』の題を捨てねばならないと決意する。シュトラウスは元々、宗教にまつわる自分の見解を公にすることを好んではいなかったし、プロイセン宮廷歌劇場指揮者という地位にあった彼が、『反キリスト者』のような反社会的なタイトルの作品を発表することは許されざることであったのだろう。

原著『反キリスト者』の要旨は以下に集約されている。

「私はキリスト教のほんとうの歴史を物語る。―――すでに『キリスト教』という言葉が一つの誤解である―――、根本においてはただ一人のキリスト者がいただけであって、そのひとは十字架で死んだのである。『福音』は十字架で死んだのである。この瞬間以来、『福音』と呼ばれているものは、すでにその人が生きぬいたものとは反対のもの、すなわち『悪しき音信』、禍音となった。『信仰』の内に、たとえばキリスト教による救済の信仰のうちに、キリスト者のしるしを見てとるとすれば、それは馬鹿げきった誤りである。たんにキリスト教的実践のみが、十字架で死んだその人が生きぬいた同じ生のみが、キリスト教的なのである・・・今日なおそうした生は可能であり、ある種の人達にとってはその上必然的ですらある。」(『反キリスト者』三十九)

つまり、この書は「キリスト教」が捏造してきた「キリスト像」を破壊し、「キリストの生」をそのままの姿で取り出そうとする試みであるのだ。しかしながら、ニーチェはキリストを賛美することは無く、弱さを強さへと転倒させ、内在するものにのみ実在性を見る彼の生を「病的」と断じている。キリスト教による価値体系の崩壊の後に我々は何によって「生きる」のか。それに対するニーチェの思想は、第4回 創立100周年記念演奏会のプログラムに端的に反映されている。すなわち――『ツァラトゥストラはかく語りき』。

『アルプス交響曲』の各部分には21の表題が作曲者によってつけられており、全体は五つの部分に分けることができる。

  1. 序奏(夜/日の出)
  2. 第一部:登山(登り坂/森へ/滝にて/まぼろし/花咲く草原にて/牧場にて/藪と茂みに抜け、道に迷って/氷河にて/危険な瞬間)
  3. 第二部:頂上(頂上にて/ヴィジョン/霧が立ち上る/太陽が自然にかげっていく/エレジー/嵐の前の静けさ)
  4. 第三部:下山(雷と嵐、下山/日没)
  5. 終部(エピローグ/夜)

  • 夜 Nacht

    夜の闇。神の不在を暗示している(キリストがファリサイ派の人々の襲撃を受けたのも夜であった)。曲は下降音形、「夜の動機」で静かに始められる。[1]からトロンボーンにあらわれるのがいわゆる「山の動機」。トロンボーンは神の声を表してきた楽器であることを忘れてはならない。イエスの誕生を予告し、動機が発展しながらその時は近づく。(『マタイによる福音書』1.18-25また『ルカによる福音書』1.26-38)

  • 日の出 Sonnenaufgang

    冒頭からの「日の出の動機」。イエスが誕生し、万物を光が照らしていくさまが聴いて取れる。3連符や6連符が多く現れるが、3あるいは12といった数字はキリスト教を理解するのにとても重要なものでもある(三位一体、12人の使徒etc)。[9]からの調性の設定に眼を向けたい。

    「ルナン氏は、心理学的事柄におけるこの道化師は、イエスという類型の説明のために、ありうるうちの最も不適切な二つの概念を持ち出してきた。すなわち、天才という概念と英雄という概念とを。しかし何ものかが非福音書的だというのなら、英雄という概念こそそれである。(中略)イエスから一人の英雄をでっちあげるとは!」(『反キリスト者』二九)

    ルナン氏とは、エルンスト・ルナンというフランスの思想家。近代的な合理主義の考えでもってキリストの伝記を表したことで有名である。天才と英雄という概念でイエスを説明したルナンに対し、ニーチェは福音書における道徳を「抵抗することの無能力」―つまり、「敵たりえないことの浄福」にあるとして、イエスの「生」は、敵の存在を前提とする「英雄」概念とは真逆にあると論じているのである。音楽は、イエス誕生に際してはC-durに設定されていたが、[9]からはEs-dur/c-mollになっている。Cの文字はもちろんChristのCであり、c-mollはEs-durの平行短調。Es-durとはベートーヴェンの英雄交響曲の調性である。

  • 登り道 Der Anstieg

    はじめに現れるのが「登山者の動機」。調性にも目を向けて、全曲をつらぬくこの動機とキリストとの関わりを理解しなければならない。これが反復された後、[18]からホルン、トロンボーンに現れるのが「岩壁の動機」。そして、舞台裏からはバンダが聴こえてくる。ここではEs-durが採られている。

  • 森へ Eintritt in den Wald

    一転して、c-mollの弦のざわめきの上にホルン、トロンボーンによる「森の動機」が現れる。ファゴットをはじめとして「登山者の動機」もあらわれ、含蓄のある展開を見せる。[31]からはAs-durに変わり、[32]からは数人の弦楽器奏者による繊細な部分に入る。『ツァラトゥストラ』の信仰のコラールにも似ている。

  • 小川に沿っての歩み Wanderung neben dem Bache

    小川のせせらぎと「登山者の動機」が現れるが、表題ほどのどかな音楽ではない。

  • 滝にて Am Wasserfall
  • まぼろし Erscheinung

    水は洗礼を表す。弦、木管、ハープ、チェレスタによって水が表現される。オーボエを皮切りに「まぼろし」が立ち現れる。

    「・・・ヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスは洗礼を受けると、すぐに水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのをご覧になった。そのとき、『これは私の愛する子、わたしの心に適う者』と言う声が、天から聞こえた。」(『マタイ書』3.6.16-17)

  • 花咲く草原にて Auf blumigen Wiesen

    チェロに「登山者の動機」が現れているが、その上でまばらに奏される木管は何に聴こえるだろうか。

    「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。他の種は、石だらけで土の少ないところに落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根が無いために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると、茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった」(『マルコ書』4.3-8)

    「種を蒔く人」とは「教えを説くもの」つまりはイエス自身であり、蒔かれた種とは語られた言葉である。イエスの教えが十分に育たないこともあるが、その教えが時には芽吹き、花を咲かせ、多くの実を結ぶ。ここはそういう草原である。フルートと弦に「花咲く草原の動機」が現れる。

  • 牧場にて Auf der Alm

    木管楽器とカウベルが一聴するとのどかなアルプスの牧場風景を思わせるが、この旋律は自身のオペラ『サロメ』から採られたものでもある。『サロメ』の物語の原型となったのは、ヘロデ王の娘が踊りの見返りに洗礼者ヨハネの生首を所望し、ヨハネはそのために殺されたという聖書の記述からである。ホルンや弦に現れる旋律はそれほど牧歌的ではない。
     [57]の前、フルート、クラリネット、ファゴットの順に渡されていく下降音型の後、ホルンに流麗な旋律が現れるが、進むにつれて道に迷ったようになる。

  • 藪と茂みを抜け、道に迷って Durch Dickicht und Gestrupp auf Irrwegen

    ホルンによる岩壁を登り、トロンボーンに現れる山を越える。

  • 氷河にて Auf dem Gletscher

    「岩壁の動機」と「登山者の動機」が発展しながら絡み合いつつ、この場面は表現される。

  • 危険な瞬間 Gefahrvolle Augenblicke

    ファゴットにより滑り落ちそうな岩壁が表現され、登山者の足取りも危ない。トランペットで最も危ない一瞬が出て、ホルンがもう一つ岩壁を越えると山頂だ。

  • 頂上にて Auf dem Gipfel

    最初トロンボーンに現れる音型をツァラトゥストラの暗示と見る向きもある。

    「六日の後、イエスはペドロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。『主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、一つはエリヤのためです。』ペドロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、『これは私の愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け。』という声が雲の中から聞こえた。弟子たちはこれを聴いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近付き、彼らに手を触れて言われた。『起きなさい。恐れることはない。』彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかには誰もいなかった。」(『マタイ書』17.1-8)

    オーボエ独奏の後、C-durに変わって「山の動機」が現れる。[81]からいくつかの動機が発展しつつ規模を増し、[85]には「日の出の動機」が現れる。以前の部分に似た展開をして、Visionに入る。

  • 見えるもの Vision

    山頂から見えるものは何だろうか。再びツァラトゥストラの暗示が現れる。[90]からは落ち着いた音楽だが、「登山者の動機」と「日の出の動機」が絡み合いつつ、次第に不穏で激しい音楽となる。

    「イエスを裏切ろうとしていたユダは、『わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ』と、前もって合図を決めていた。ユダはすぐイエスに近寄り、『先生、こんばんは』と言って接吻した。イエスは『友よ、しようとしていることをするがよい』と言われた。」(『マタイ書』26.48-50)

    [95]冒頭の大太鼓はユダの接吻を表している。同時にオルガンが鳴り始める。イエスは捕えられ、裁判の結果、死刑となる。

  • 霧が立ちのぼる Nebel steigen auf

    太陽が次第に陰っていく Die Sonne verdustert sich allmahlich ヘッケルフォン、ファゴット、クラリネットが霧を立ち上らせ、弦はいっそう不穏な雰囲気が醸しだす。奏される「日の出の動機」は次第に弱々しくなっていく。

  • 哀歌 Elegie

    #が3つ並ぶ調性によってゴルゴタの丘、十字架に架けられたイエスと二人の罪人を表している。弦と木管によってゆれる死体が表現される。ppのオルガンの上に悲しげにコール・アングレが「日の出の動機」が現わし、オーボエは哀歌を歌う。「登山者の動機」―キリストも現れる。

    「さて、昼の12時に、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。(中略)『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』・・・イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。」(『マタイ書』27.45-50)

  • 嵐の前の静けさ Stille vor dem Sturm

    他の木管が静寂を歌う中、オーボエはキリストの滴る血を表現している。[106]のクラリネットは死んだイエスに槍を突き刺す兵士。そこからは血と水が流れだす。(『ヨハネ書』)
     イエスの死を受けて太陽は光を失う。[107]からは「夜の動機」である。イエスの血が流れる。

  • 雷と嵐、下山 Gewitter und Sturm, Abstieg

    これまでにあらわれた種種の動機がのぼりとは逆の順番で現れる。

    「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。」(『マタイ書』27.51-52)

  • 日没 Sonnenutergang
  • エピローグ Ausklang
  • 夜 Nacht

    もはやキリストはいない。キリストはその生を全うし、十字架の上で死んだのである。神が不在となったが、それでもまだ「山を登る」者はいる。


※文中[]で囲まれた数字は、総譜に示されている練習番号を指します。

(Cl.3 大森 脩史)